調査員N氏の本を売りに行く
2012年9月25日 カテゴリー:雑記
読書家のN氏。
机の周りには多くの書籍が置かれている。
了解をとって、60冊余りを天神橋筋商店街の古本店へ売りに行った。
これで又、N氏が新しい本を1冊購入出来ればいいかと思っていたら、その取引額は、なんと0円であった。
一体どういうことなのだろう。
店主に聞くと、読み癖がついて売りモノにならないという。
「ドッグイア」
本を挟みながら読むことで出来る折癖である。
古本であるからには先ず美品でないといけないらしく、なるほどそうかと納得する。
N氏の自宅は大丈夫だろうか?
本好きは本を買うことが好きなのであり、本を売ることなどは余り考えず、家中を書庫と化して行く。
かの植草甚一が亡くなった時、コレクターの間では垂涎の蔵書が大量処分された時、妻は一言「せいせいしました。」と言ったそうです。
本で家はつぶれ、部屋の中を多い尽くす 本、本・・・。
アイロンさえかけられない中で暮らしていくこと。
70を過ぎて初めていったNYも船便で、どんどん到着される本、本、本・・・。
それが普通の感覚を超えた時には、本の恐怖を覚えるかもしれない。
植草氏は大好きだが一緒に暮らすことは出来ないだろう。
だが、私は本を読む人が好きで、人の本棚を見るのはもっと好きです。
友人の本棚にフランス書院があったり、自分が知らなかった作家や一生読まないだろうとするジャンルの本がおかれていると手にとって見たくなります。
20年以上前に、何かの洋書でマリリンモンローが本を読んでいる姿があった。
椅子に座り、カーディガンを羽織り、ノーメイクでメガネをかけている。
今までのスタイルの写真とは全く違っていて、そのシンプルな装いが一番美しく感じてしまう。
その写真の背後には本棚があって、多くの書籍が並んでいた。
実はモンローはデビュー前から大変な読書家で、亡くなる寸前はセックスシンボルの女優ではなくシリアスな役への脱却をはかり、多くの脚本となるべく書籍を読み漁っていたらしい。
文豪やその交際する男達、ハリウッドの表も裏も知り尽くした女優であり、数多くの名言も残している。
一体どんな本を読んでいたのだろうか?
そのフォトは何かの小さな記事であり、ネット上をどれだけ探しても出てこない。
その女としての完璧なまでの美しさも計算されつくし、非常に知性を持った女性だったに違いない。
本来、読書とは誰かと共有するものではなく、密かに静かに独りの時間を楽しみながらふけるものです。
読めば次への興味が持たれ、知はどんどん探求されていく終わりのない旅のようです。
私はそれでも、わかってはいるものの、読書中のN氏に声をかけ、どんな本を読んでいるのか、面白いのか、読む時はその読み癖は治したほうがいいと。
わずかな事務所での休息中に、実にこうるさく感じることであろう。
そして、やはり今日もフッと見るとN氏は本のページを挟み込みながら読書中である。
タイトルは「複雑な世界、単純な法則」マーク・ブギャナン。
本の帯に書かれた内容を読むと私が選ぶジャンルではなく是非とも、読んでみたい。
思いついて、読み終わった本を丁寧に皺をのばし、事務所の壁一面に置かれている古い電話帳の間に長期間挟み込んでおいてみた。
その全ては新品に近く、そのテーマやジャンルも誰かに伝えたい素晴らしいラインナップである。
電話帳ちゃんありがとう。
折皺は無くなったかのように見え、私は鼻膨らまし、いざ天神橋筋商店街へ足を走らせる。
だが、今回も山のように持参するが0円と言われる。
さすがはプロ、古本の店主にはその卑しい行為はすぐに見抜かれてしまった。
いつの日かこの事務所がN氏の本に埋もれないことを祈りたい。