エチオピアのお土産
2012年9月19日 カテゴリー:雑記
テンガロンハットを被られている、おじさんがいた。
混み合う電車の中では、その大きな帽子は両側の客に完全に突き刺さっている。
このようなウエスタンなスタイルはアメリカの西部ならばあるだろうが、大阪の地下鉄で座っていると非常に謎に感じる。
男性は私の熱い視線を感じたのか、ビジネスバックからレイバンのサングラスを着用。視線が不明でも、どうだカッコイイだろうと、こちらをジッと見られておるような気がしてならない。そして、そのレイバンもあくまでレイバン風と思える。
テンガロンハットは、やはりスーツではなく全身ウエスタンな装いで決めてほしいのだが、思わずどのようなお仕事をされているのですか?やっぱり、西部劇がお好きなんですか?と聞きたくなってしまう。
天神橋筋商店街でも、よく見かけるお爺さんがいる。
手押し車を逆向きに乗っかり、ハンドルを持ち両足を静かに後退しながら進むという、普通の発想を超えた行動で、人や車がごった返す中、バックミラーもないのに悠々と走行している。
そのスピードは牛歩のようでも、このままでは事故に遭われてしまうと注意したいのだが、人を寄せ付けぬオーラーがある方で、姿を見ると心配でならない。
数え挙げればキリがないのだが、何か人と違う感覚を持たれている方、その発想、ファッションセンスをされている方に出会うことがあると、可能ならば何故そのようなことを思いついたのか等じっくり聞かせてほしくなる。
そして思う、何が普通であって、普通であるべきことは、どれほど大事なことなのかと。
たまには本能のまま、それを脱ぎ捨ててもいいではないかと。
友人に携帯電話を持っていない人がいるが、連絡は自宅の固定電話のみである。彼女といると、かつて電話とは限られた時間とマナーがあったことを思い出す。
自宅は古民家で襖には自宅を訪れた客の写真が大量に貼られ、その家のどこかには、かつての私の夫と並ぶ私の写真もある。
彼女は今、夫と子供とロングバケーション中でエチオピアにいるのだが、私の勤務先から近い自宅なので植木の水やりと、郵便物の取り入れ、自宅の風入れを頼まれている。
この彼女とは25年前に小さな席で知り合ったのだが、個性的だけでない、普通の感覚から突き抜けた生き方に興味を持って、文通から縁を繋いで現在に至る。
普通の主婦から転職した私の仕事のことも聞くこともなく、ただ、今あなたが幸せだったら、それでいいという感じで、私の失態も笑い飛ばしてくれる友人でいる。
ただ、一つどうしても、この私でも受け入れないことがある。
彼女は民族衣装が非常にお好きな方で、アフリカ方面へ旅することが多いのだが、その地の衣装を購入し、それを普段着としてスーパーへ、宴席でもやってくる。
そして私にも一緒に着て街に出かけようと。
アフリカの大地では普通である衣服であろうが、知り合いだらけの大阪・天神橋筋商店街でターバンを巻き、真っ赤な布、黄色の腰巻きで練り歩く勇気はない。
かつて、トライしたが、大きな明太子が立っているという感じで、彼女は悦に入り写真に撮り、これも襖絵と化している。
自宅のポストにあなたの土産は買いましたからと絵葉書が届く。
この地の衣装をネットでチェックしてみる。
それは目がくらむほどの色彩で美しいが、やはり私は普通の感覚から抜け出せそうもない。