革ぞうり
2012年8月24日 カテゴリー:雑記
勝手口の石台の上に置かれた、見慣れぬその大きな黒い「革ぞうり」。
見た瞬間、小さな違和感を覚え、それをじっくり手に取ると・・・。
これはもしや、あのいつもの父のビジネスシューズの革靴ではなかろうかと。
もうスーツを着て革靴を履くこともなくなった時。
サラリーマン人生を終えた時。
男女を問わず確実に多くの持ち物を処分しなければならない時が必ずやってくる。
父は昭和一桁生まれ。
時代がそうであったことと、何事もどんなモノも何かに使えるのではないかと捨てることが全く出来ない人だった。
数字の世界で長年仕事をしてきた人でもあるので、多くの書物、資料、文具用品。
サラリーマン人生の半分以上は転勤、単身赴任生活、その土地の思い出の品にあふれていた。
退職し、ようやく自分時間が出来たことで、自分の持ち物であらゆるモノを
自宅で作るという、リメイク人生が始まりました。
その始まりの作品が革靴からリメイクした「革ぞうり」でした。
本革のビジネスシューズ。
トウだけをわずかに残し、被せも残し、全体を実に丹念にきれいにくり抜いている。
一体どんな道具を使って、苦労したであろう、あの硬い側面の革をカットしたのだろうと。
それがおよそ勝手口、玄関、裏口、ベランダとあらゆる場所に鎮座していた。
しかし、苦労を重ねて作った割には28センチの大きな「革ぞうり」。
大きすぎて足さばきが非常に悪く、我が家の女ばかりの家では不評だった。
また、「革ぞうり」は終日外に置かれ、風雨で湿気を含み、なんとも言いがたい臭いも放つ。
夏、庭先で汗をタラタラ流しながら、ナイフとハサミで格闘。
魂で挑む、その直近で向き合う棟方志功スタイル。
誰も必要としないその「革ぞうり」を作っている姿は何かおかしい。
それをやり始めると、家族中皆が笑いころげていたような気がします。
ネクタイは数10本。
これも丹念に解いてパッチワークのように、柄合わせをし縫い合わせ。
玄関の下駄箱の上に大きな敷物になっていた時は、もう笑いが止まらない。
一体何がそうさせるのかと。
家中が手作り感にあふれ出し、普通に処分することを祈りました。
今まで、家の中など興味もなかったはずなのに、その澄み渡るアイディアの宝庫さには
ただただ唖然・・・。
ただ一人、母だけは笑っていなかったように思う。
何ら贅沢をすることもなく、真面目に一つの仕事を全うし終え、家族を愛してくれたこと。
その革靴もネクタイも家族を養ってきた大事な戦闘服だったのですから。
「革ぞうり」をリメイク中の父への賛美の声は絶やさなかった母。
父が亡くなって約10年。
では、それらのリメイク品が今も我が家にあるかと聞かれたら。
いつの間にか、静かに、役目も終えて、何一つとして残ってはいない。
モノはあくまでもモノであり、背負いすぎるとメモリーにうずもれて息も出来なくなる。
私もいつか、スーツや靴やバックが今ほど必要でなくなる時が来るだろう。
笑われても、何かリメイクをして家においておきたいという衝動にかられるだろうか。
その時は、勝手を言うのならば、どうか私のように笑い転げないでほしい。
不器用な私がどんなにおかしなモノにリメイクしても、母のように菩薩のような表情と優しさで。
「あら~素敵やわ~」と言ってくれたら非常に嬉しい。
・・・いや、やっぱり、家族中で笑ってくれてたらもっと嬉しいんだろう。