仙台へ
2011年5月06日 カテゴリー:雑記
連休中、親友に会いに仙台へ行ってきました。
昼過ぎに仙台駅に到着。
再会は約10年ぶりでしょうか。
改札を出た瞬間。
懐かしい彼女の顔をすぐに見つけ、お互いに溢れ出す言葉の洪水に包まれ、ようやく会えた安堵に、涙があふれそうになるのでした。
市内のホテルのラウンジに着席した途端。
少し大きな余震が発生。周辺の皆さんは微動だにせず落ち着いていました。駅周辺にはボランティアのバスに乗り込む人達が多くいて、至る所の壁に「立ち上がろう!」と熱い言葉が書かれたポスターやメッセージが多くあります。関西にも応援ポスターは溢れていますが、被災地では全く違う意味を持っているのだろうと私はただ、ただ、その言葉をかみしめました。
早速、昨日、開通したばかりの地下鉄で彼女の自宅に向かい、下車後、約30分近くタクシーで北に向かいました。
雪国といえども、アメリカンハウスのようなその家々、ガーデニングされた庭、整列された並木道。その閑静な住宅街は関西で言うならば宝塚の住宅街に似ているなと。
まだスーパーでの食糧も完全ではないのに、テーブルいっぱいに並べられた手料理。関西から友人が来るということに近所の方からの郷土料理も届けられ、その東北の方の心の根の暖かさに、私はもう・・胸が熱くなってしまうのでした。
そのおもてなしは深夜まで続き、ふと時計を見ると午前2時。
少し、横になりたいなと・・・・。
彼女の話は、この震災の行く末から、家族のこと、仕事のこと、人生における愛についてなど、どれも簡単にスルーできるようなお話などはなく、きちんと相手の目を見て、答えなければならないものです。
午前3時。
実に楽しい時間でありますが、いかんせん瞼がどうしても開かぬ様になって、熱く語り続ける彼女に私はついぞ・・。
「そろそろ休もうか~ご主人も朝早いんだしね~」
と意見したところ。
「あら~私なら大丈夫よ~私最高~4日間徹夜したことあるし~」
・・とソファーに座り、新しいネタを語り始めました。
「・・・・・・・・・・。」
再会までの10年近く、二人の女の人生も大きく変化し、今や、考えられないほどの災害を経験し、この慟哭しかり、何かを伝え合いたい気持ちで一杯となっています。
私は、心を決めました。
苦味の強い、普段なら絶対飲まないであろうアロエ茶をいただくことを。
昼に出された時に「う~む~これは一体なんという味なのか!!」と舌が完全拒否。おまけに茶びんの底にはクラゲの様なアロエが泳いでいるではありませんか!
しかし、このタイガーバームを煮沸かした様な強烈な味覚は頭を覚醒し、瞼を開かせることに成功し、明け方近くまでリビングで彼女とディスカッションする事が出来たのでした。