天神橋筋商店街16
2017年12月05日 カテゴリー:雑記
商店街を歩いていると、もう何年にもわたって私に挨拶をする男性がいる。
どうやら私とそっくりな人と勘違いをしているようだが、その素敵な笑顔でついこちらも会釈をしてしまい、どう尋ねればいいか考えているうちに男性は一陣の風のようにあっという間に走り去る。
某市内のある場所を歩いていた時だった。
はるか先にアーケードが見えたので、美味しいものでもあればと商店街に入ったが、駅前にあり、土曜というのにほとんどのお店は閉まっていた。
開いていた数店舗のお店の店主はみな疲れた顔をしている老人ばかりで、客との会話をこばむような空気が蔓延しているように思えたといえば言い過ぎだろうか。
多くの商店街の発祥は古く、時代の変化を乗り越え様々なセンスを持った集合体が醸し出すのか、より大きく力強くさせるようで、私は機会があればどんな小さな商店街でもチェックするようにしている。
独身時代に勤務していた会社の近くの商店街へ行く機会があり、当時ほぼ毎日行っていた喫茶店と定食屋をのぞくと、まだ変わりなくお店をされていたので感動を覚えた。
せっかくなので私はそこで、ほぼ毎日食べていた「だし巻き定食」を注文した。
店主を見ると35年前と何ら変わらず、恐らく一度もお店の手入れはされていないのだろう、丸椅子に座ったとたんタイムスリップするかのようで、置かれた八角のガラスの醤油さしを握りしめた。
食後はこれまた、ほぼ毎日食後の珈琲をしていた喫茶店に向かった。
この店の音楽センスが大好きで、いつも店主おすすめのライブ映像を眺めながら、当時は昼からの仕事を乗り越えるべく気持ちのテンションを上げていたことを思い出す。
だが、喫茶店の店主は定食屋とは違って大いなる変貌を遂げていた。
店主は頭髪が薄くなり、随分と痩せて、ほぼ35年間立ちっぱなしのお仕事の影響だろうか。腰をいたわるような仕草で、かつてのはじけそうな動きはないが、まさにいぶし銀のようなお姿になっていたのだ。
何よりドアを開けるとより一層音楽を楽しめるお店になっていた。どうやらジャズのミニライブバーなっているようで、私は二階の飾り窓から見える商店街を歩く人を眺めながら、しばしここで過ごした。
過去の自分とランデブーすることはどんな過去も許せて愛せるようになることだろう。若気の至りとでもいうように、多くの間違った判断の連続で失ったものもあったが、未来はどこまでも輝いていた日々が、ただただ懐かしい。
人生の中盤をとうに超え、今こうして天神橋筋商店街で非常に長い時間を過ごさせていただいているが、また数十年経って、この場所のどこかを懐かしむ時間がいつか来るのかと思うと人生は一瞬の連続の中に散りばめられた隠された宝石を探しているように思う。
忘れた頃に誰かと間違っている男性が、いつもの丁寧な角度でお辞儀をしながら颯爽と駆け抜けていく。一体君は私を誰だと思っているのだろう。いつかこの謎も解かねばなるまい。
帰宅への道のりは商店街の知った人たちに声をかけられ立ち話で夕暮れを過行く。商店街の隙間に見える夕暮れの美しさは味わいがある風景だなとたちどまる。
この当たり前のようにある毎日が永遠でないことを私は年を重ねて知ることが出来ました。
12月に入りました。
皆様お疲れ様でございます。
焦ることなくいつもと変わらぬ日常を過ごせることに感謝し邁進します。