天神橋筋商店街8
2015年11月12日 カテゴリー:雑記
数年前に目に違和感を覚え、視神経が大きく陥没していることがわかった。将来、緑内障になる可能性が非常に高いらしく、毎年誕生日に検査をしている。
このおかげで健康であることが実は奇跡のようであって、いつ自分が大きな病を持つかもしれないと強く意識するきっかけになった。
それから歩いている人が白杖を持っていると気になりだして、可能な限り声をかけるようにしているが、お手伝いをするタイミングが難しい。
この人の往来の激しい天神橋商店街で白杖を持った中年の男性が前を横切った。
ここは条例で自転車走行禁止となっても、まだまだマナーの悪い人も多く、一瞬で自転車が攻め込んでくる危険ゾーンが多くあって、都会は街中を自転車で走行する人たちが多くいる。
前方から来る人たちは白杖に気づかず大手を振って歩く人もいて、男性は何度もここを通過しているからだろうか。人込みはうまくかわしているが、その先には店舗の前にはみ出した自転車や段ボールが現れる。
商店街5丁目付近で、私の携帯電話が鳴り、下を向いている間に男性の姿がかき消された。その日は外国人旅行者の団体が多く闊歩していて、あっという間の出来事だった。
しばし、四方八方視界を凝らすが彼は両側にあるどこかの店舗にでも入店したのか、どこにも姿は見えなくなってしまったのだった。
街の全てがあたりまえのようにあっても、それは健常者のためにあるもので、いつしか自分が健康でなくなってしまった時、小さな段差一つで一歩も進めないことに気が付く。
所要を済ませ、天神橋筋6丁目駅に到着しラッシュアワーの準急河原町行に乗ろうとホームで並んでいると白杖を持った彼がゆっくりとやってきた。私の中で静かな感動がこみ上げてしまう。
一体どうやって、あの混雑する人込みを切り抜けて、ここまできたのだろうと。
とあるエッセイの好きな一説を思い出した。
著者が何気なく白杖を持った男性を眺めていると、柱の影で誰かを待っているようで四方に顔を向けていたが、ある一瞬で表情が変わり、その方向に何かを感じ取った彼は笑顔になったという。
その視線の先にあったのは、白杖を持った女性だった。
彼女も彼がそこにいること知り、迷うことなくまっすぐと歩き、彼の白杖を持つ手を握り締める、彼らはカップルだった。
弱視の方だったのかもしれないが、どれほど巨大ターミナル駅の柱の影に彼がひっそりといたとしても、彼女はいち早く見つけ出し、彼も愛しい彼女のやってくる気配は感じることが出来るのである。
何か大きな勇気をもらえたような、心地いい風が吹くような、どれだけ苦難が満ちていたとしても、たくさんの奇跡もちりばめられている。
私はそこにいつもある自然の魅せる美しさの風景に慣れすぎて、実は何も見ていないのかもしれません。時々、光が失われることは一体どんな風になるのかと考えます。
危機せまることが数あれど、年齢を重ねることで、同じように年齢を重ねた周りの友人やそばにいる人たちのおかげもあって、知恵と防御の仕方までを授けてくれます。
50年以上、こうして地上に自分の力で踏ん張って立っていられることに感謝と奇跡を思ってしまう今日この頃です。
50年というスパンは輝きは衰えても円熟味を持ったアンティーク期への突入するもので、納得できる検査を行い、研磨し、抗い、受け入れなければなるまいと到達するのです。
この白杖を上にあげたときはSOSのシグナルとのこと。
人をフォローすることは何か間違いがあってはいけないとつい、慎重になってしまいますが、このサインだけは絶対見逃してはなるまい、そう思っている。