愛と憎しみの伝説
2015年7月28日 カテゴリー:雑記
その方法が正しいのかどうかはわからないが、まるで自分の身体が疎ましいかのように、激しい痛みを感じるほどに両腕を徹底的にこすり上げる。
泡にまみれ、顔面もぬかりなく徹底的に洗い上げ、熱湯に近い湯と交互に洗面器に入れたあふれる氷水、そこに静かに顔をうずめるのである。
独自にあみだした洗顔方法と美を追求したストイックなまでのその日常生活。
一つでも手順が狂うと許されない。
この映画はシルクのガウンを着た女が朝4時、顔のリストバンドをはずし、365日行う儀式のような洗顔のシーンから始まる。
主演はフェイ・ダナウェイ。
1920~1960年代までハリウッドの頂点にいた女優ジョーン・クロフォードを演じる。
原作はクロフォードの養女となったクリスティーナが書いた「親愛なるマミージョーン・クロフォードの虚像と実像」という自叙伝からの作品である。
その内容はハリウッド女優の伝記ものなのではなく、養女として育てられた娘の過酷なまでの半生を描いた、幼児虐待の実話の映画である。
巨万の富を得ても子供の出来なかったクロフォード。当時まだ養子は一般的な時代ではなく、ようやく手をつくし養女を迎え入れる所からこの映画が、より激しいものへと変わっていく。
潔癖症ともいえる日常から、まだ幼子のクリスティーナのクローゼットをチェックして、数百ドルのドレスにあなたは安物の針金のハンガーにかけている・・それは・・なぜ、なぜ、とハンガーを振り上げ激しく詰めよる。
ジョーン・クロフォードと検索すると子育て・・と出てくるほど、この映画を見た人のインパクトが強いのか、欧米ではギャグにも例えられるほど、ハンガーをかかえて一人ブチ切れるモンスターの姿は本当に恐ろしい。
そして、どれだけ洗顔に命をかけても、美は劣化し止められなくなる時がやって来る。
その椅子を狙う女優は列をなしており、ハリウッドからは容赦ない勧告を受け、その反動から、ますます虐待は激しさを増していくのだった。
その行いを止める人がいない、誰も目撃する人がいない、ということは恐ろしいまでの時間の中で生き抜いていかねばならない。
一方、愛情がないかと思えば過度の愛情を見せつけ、一説には養女をもらうことで、優しい女をアピールしたかったのだと非難されているが、同じようにクロフォードも誰からも愛されなかった子だったという。
私は主演のフェイ・ダナウェイというハンサム女優が大好きで、これまでの演じてきた役柄からうって変って、女優生命をかけて挑んだという、この高慢ちきな小難しいハリウッド女優を見事に怪演していたと思う。
この映画のパッケージが怒り狂う顔になっているせいか、カルトムービーとして、「ロッキーホラーショー」と共に隠れた人気があるようだがホラー作品ではない。
この作品があらぬ賞を受賞してしまい、その後、クールな正統派女優がラインからはずされ、現在、まるで過去のクロフォードのような生き様でいることに驚く。
ハリウッドの第一線で走り続けることは、普通の神経で生きることなど不可能に近く、まさに人生の光と影を描いた作品だろう。
そして、虐待を受けた娘も、一時は女優になってみたり、そのような母でも辛辣に向かい合い最後まで愛を乞い、強い一面を持った女性に成長している。
その後、年老いたクロフォードは穏やかな一面もみせながら、やはり最後の遺言でも一円の財産も残さず、その後、クリスティーナがどんな生活をしているのかは不明である。
ネットでは映画史上最も後味の悪いトラウマ映画にあげられる作品になっている。
一番愛情を乞いたい時に愛してもらえなかった人は愛し方がわからないというように、その虐待は連鎖する。
心身を病む理由はどんな人にもあって、頂点にいることの過度のストレスなのか、幼少期の育ち方なのか、ネガティブな環境でいても影響を受けないのはなぜなのか。
愛情が感情を抑えきれず激しさをもって相手を貫いてしまうことがあるが、その与えた痛みを感じず、その怒りの理由さえも本人がわからないことが虐待の一番の恐ろしさなのかもしれない。
「愛と憎しみの伝説」1981年 アメリカ作品
監督 フランク・ベリー 主演 フェイ・ダナウェイ
ゴールデンラズベリー賞受賞