男女の問題
2014年5月30日 カテゴリー:雑記
その喫茶店はいつもバロック音楽が流れ、アールデコ風のインテリア、天井にはシャンデリア、螺旋階段の下には公衆電話ボックスがあった。
携帯電話がまだ少なかった時代。
その店は仕事の打ち合わせや、資料作りにいつも利用していた。
斜め向かいで、ひとり座っていた女性の前にひとりの女性が着席した。
先に座っていた女性が、ずっと女性を激しく睨み続け、後から来た女性はうなだれるように悲しくうつむき一言も会話をしなかった。
アイスコーヒーがテーブルに置かれた瞬間。
女性の顔にいきなりかけて、何かを発して、足早に店を出たのは先に座っていた女性である。
話し合いなど必要なし。
水ではない、アイスコーヒーをかけたところに怒りの高さが伺えた。
かけられた女性は、まるでそうなることをわかっていたかのように、ただそこに座っていた。
夕刻、御堂筋をリリーフランキー似の男性が帽子を押さえながら必死の形相で走っていた。
追跡者は黒木メイサ似の女性で大声で叫びながらヒールで爆走し、今にも追いつきそうであったが、リリーは人混みに紛れ信号を渡り、アメリカ村方面へと逃げる。
男性は帽子をよほど失いたくなかったのか、走っている最中もずっと片手で帽子を押さえながら走っているため全力疾走が出来ないでいた。
何より驚いたのは、もう1名メイサの後ろにメイサ2号も何故か爆走していたことだった。
追い詰めは2名となっていて、接近戦となっていたのだった。
いずれもドラマの撮影かと思うほどで、ドラマ以上に圧倒的な人間の修羅を現わしていた。詳細など必要はないだろう。紛れもない男女の問題であって、現実は激しくも狂気に満ちている。
私はこの修羅場を目撃していた時は離婚の渦中で、正常な判断が出来ない状況にいた。離婚への葛藤は長く、その影響で仕事はミスを連発して、毎日同じことを自分の心の中で連呼していた日々だった。
今の自分の心の中を見ているようで、胸をつかれる修羅場だったのである。
憎しみという感情がコントロール出来なくなると、人を傷付ける行為にまで及ぶこともあれば、人前で醜態をさらしてしまうことの愚かさは裏切られた人にしか理解出来ない感情でもある。
このふたつの修羅場は、悩みの深淵にいた私を目覚めさせ救ってくれた修羅場でもあった。
談話室風の喫茶店は時代の変化と共に閉店して、御堂筋の街並みも変わってしまったが、歩いていると、突如現れた彼女達は私の悩みの深さが見せた幻だったのだろうかと。
人生は希望に満ち溢れています。
どんな経験も自分を見失わずにいれば、それら全てが意味のあるものとして活かされる。
悩みに惑わされずに生きてきた者として。
いつも私はその先にある希望を依頼人に伝えている。