バカラ
2014年2月07日 カテゴリー:雑記
30年近く前だろうか。
知人が便利屋を始め、私は短期間だが手伝っていたことがある。
その内容は多岐に亘り、墓参りの出来ない人の墓の清掃。高齢者の買い物の手伝い、話し相手、病院への送迎、単身赴任先の夫のマンションの清掃など、今とは違う時代の世相を現わすものだったかもしれない。
親元を離れて暮らす学生の息子を心配する母からの依頼は自宅マンションの清掃、料理。食事は毎回、当日に息子が食べたいメニューの連絡が入いる。
部屋には大きなグランドピアノがあり、息子は通っている間、顔を合わせても挨拶しても、何故か一言も話さなかった。
片づけられない人はお金を払ってでもしてほしいようで、その多くは緊急が多く、ほとんど結婚している人で私は驚いた。
自宅マンションに到着してブザーを押し、開けられたドアの向こうに妻がいるが私の腰まであるゴミの山で部屋に入ることが出来ない。
キッチンには数年前に食べたであろう、凝り固まった具材の土鍋、鍋、フライパンがタワーのように置かれ、どこも一切の足の踏み場がない。
あちこちに大きな青いゴミ袋が数十個置かれ、それは全て洗っていない洗濯物だという。生活のバランスが狂い始めたのか壊れたトースターの上に今にも落ちそうなバカラのグラスが置いてあった。
夫は帰って来なくなって2年になるという。
初めは頑なだった妻が一緒になって手伝いだし整理をしていくと、床下が見えて結婚式のアルバムが現われる。窓辺が荷物で一切の光を遮断していたが片付けて、厚手のカーテンからレースのカーテンに変えると一気に部屋の空気が変わった。
窓を開け初めて気がついた。
大きな桜の木が窓を覆いつくし、それはまるで絵画のように現れたからである。
妻はこの桜の木が気に行って、ここに決めたのだと。
ありがとうと初めて笑顔で言ってくれた。
短い期間だったがその密着度から、皆、私には忘れられない人達である。子供のような私にすがり、信用して、これまでの過去をさらけ出してくれ私はどの依頼も心底、感謝をされることに喜びを感じていた。
バカラのショットグラスには夫婦の名前が刻印されていたことを思い出す。写真立ての写真は皆、片付いたきれいなリビングでくつろぐ姿の夫婦の満面の笑顔の姿だった。
当時は、何を聞かされても上手く答えることが出来ず、その孤独の深さに驚き、ただ黙って聞くことしか出来なかった。
今ならその妻や独居老人達、離れて暮らす母親のすれ違ってしまった愛情。
ただの掃除や料理ではなく、何故お願いしているのかの深さを知り、もっと何か力になってあげられたかもしれない、と切なくも思う。
30年たっても、まるで昨日のように、この人々のことが今も鮮明に思い出す。そして今もその桜の木は変わらずそこにあることに不思議な心境になることがある。