ダイソー ピンクワールド
2013年5月23日 カテゴリー:雑記
「100均フリーダム」
BNN新社 著者 内海慶一
この本は著者がダイソー100円ショップで巡り会った商品を常々謎に思い、その大雑把なデザイン、突飛なコンセプト、細かいことを全く気にしない精神に敬愛する、ダイソー100円雑貨について熱く書かれた本である。
「100円ショップに通ううちに、私は売り場に不思議な感慨を覚えるようになった。それは何とも言えない心のざわめきだった。私はしばしば、企画会議を経たと思えない突飛な商品を、また試作で作られたかのような中途半端なデザインを見た。そのたびに私の心はざわめいたのだった。」(著者あとがきより抜粋。)
写真付きの商品紹介は名文で、うっかり電車の中で読んでいると、笑いがこみ上げてしまい、どえらい目にあいます。
作品「首長芸者」
茶箪笥にいつの間にか置かれているような小さな陶器の日本人形にこう思う、著者。
「明らかに長い。しかし、「首、長くね?」と誰にも指摘されないまま、店頭に並んだのである。設計段階、製造段階、検品段階、そしてバイヤーによる買い付けの段階。「首、長くね?」と指摘するチャンスは何度もあったはずだが、ついに誰もその一言も口にすることはなかった。そう、それでいいのだ。細かいことを指摘するのはよそう。もっとおおらかにいこうよ。100均イズムが心に染み渡る。1センチ2センチにこだわる神経質な自分を恥じたい。」(100均フリーダムより抜粋)
この本が書かれたのは2010年である。確かにダイソーはこの時代、膨大なジャンルの商品構成で、何か得体の知れない人形、置物、小物が多く存在していて、この勝手につけた「首長芸者」とされる日本人形も陶器の置物コーナー、或いは日本の和物コーナーに陳列されていたのを思い出す。
私はもっと昔にインディアンの酋長人形を購入したことがある。
悟りを秘めた、いぶし銀の顔だったが、いかんせん100円に完璧を期待してはならぬが、衣装が何故かチャイニーズで、私は必死で分解して、ネイティブアメリカン衣装にさせたことが懐かしい。
100円の持つダイナミズム、遊び心、宝探しであろうか。
首が長かろうと、短かかろうと、舞踊の心をお持ちの方ならば感じられる、その腰つき、扇子の位置、見得を切る風な所作が100円で存分に眺めることが出来るならばお安いものかもしれない。
一体それを誰が買うのだろうと危惧するが私のような方が多くいたのだろう。
100円という単価の限界点は普通を超えた形になって存在する。
ダイソーは大勝負をかけてピンクワールドになり、100均ブログ村では、ブロガー達が、日々おしゃれな雑貨商品をアップし、売れ筋に的を絞りだし、この本のネタになる商品はもう存在しないラインナップとなった。
自分が密かに謎に思っていたことを一冊の本にされていることの嬉しさは隠させないが、もうこれらの商品は残念なことにピンクワールドにはいないのである。
だが、私は西日本全域、あらゆる場所に仕事柄出向かせていただくことが多い。
ローカルな場所に行くと、まだダイソーはピンクに展開されていなく、懐かしいフリーダム商品が多く残っているダイソー店もあることに気がついた。
買いそびれたインディアン人形の仲間達がどこかにいるのではないかと。
100均フリーダム。いいじゃないか衣装がチャイニーズでも。
笑顔になれる1冊です。