仙台へ
2013年4月23日 カテゴリー:雑記
「こちらは16時から空港付近で待機しています。」
と、メールが届く。
これは調査員からのメールではない。
私の仙台空港の到着時間は最終便に近い時刻である。そんなに早くからすでに空港で待ってくれている親友に驚きながらも、再会を心待ちにしてくれていることに嬉しく思う。
震災から2年。
仙台に住む親友とは震災直後に仙台で一日だけ再会したのだが、また私は仙台へ向かった。
深夜に自宅に到着したのだが、とにかく彼女の話は尽きない。
長い付き合いになるが、彼女は昔からディスカッションというか、ひとつのテーマについて
徹底的に納得のいくまで話をするタイプである。
深夜2時を回った頃だろうか。
私はどうしても瞼を開けることが出来なくなる。
電動歯ブラシで歯を磨きだしたので、ようやくお開きかと思えば、歯を丹念に磨きながら、よどみなく話を始める。
それは歯を磨いていることを全く感じさせない口調であり、なんて器用なんだと思い驚き、私はようやく瞼を見開くことが可能となった。
滞在のスケジュールは、毎朝8時には自宅を出発するという強行軍である。
この数日間の私の睡眠時間は平均1日3時間を切る。
休んでいるようで休んでなどいない、我々は常に動いている・・・のような日々だった。
親友の友人の方まで空港まで出迎えていただき、そのまま仙台の町の案内をして下さった。
ここからの眺めが一番美しいのです・・と案内された、小さな橋から眺める仙台の町。
そして、また車を走らせ、賑やかな町並みから外れた古刹に咲く、大木の桜。
それは月の明かりに浮かぶ妖しくも儚く、ひっそりと咲く満開の桜であった。
深夜に眺めた数々の桜。
どれも見過ごしてしまいそうな路地裏に咲き誇っていた。桜は誰もいない、静かな夜に眺めるのが一番美しいことに気づかされる。
車から降り、そこにしばし佇むと彼女達が以前そこで駆け回ったであろう童女の頃の姿が瞼に浮かびます。
その友人の方は、ぜひとも仙台の桜を見せたいと、桜の咲き加減を数日前からチェックしながら車を走らせてくれていたのだろう。
こうして町の歴史や自慢出来る場所へと案内出来ることは、仙台が彼女達にとってどれだけ愛すべき町なのかと思い知りました。
そして、この縁は深く、揺るぎないものであろうと、お世話になった方々に感謝をしながら、私はここへはこれからも何度もやって来るだろうと思い、明け方眠りについた。