雀荘のお客様
2012年12月01日 カテゴリー:雑記
叔母が作ってくれたフランス刺繍のクッション。
絵柄は大輪の美しい薔薇の花束が全面に施されて裏面には、お花畑の中でペルシャ猫が3匹並んでいる非常に凝った愛らしい作品だった。
いつも、それをベットの枕の隣に置いて、お花の日、猫の日と交互に眺め、乙女チックな10歳の私はメルヘンな世界に浸り、それをずっと大切にしていた。
父が単身赴任先から戻った頃だろうか。
いつも自宅は来客が多く、週末はマージャンをするために職場の同僚を連れて来る。
徹夜でマージャンをすること、興が乗ってくるといきなり奇声をあげること、マージャンしながらもの凄い量の食事をすること。子供心にその全てが謎だった。
母は同僚達と笑い合い、片手で食べられる料理を創意工夫し、絶妙なタイミングで酒を運び、雀荘のママと化していた。
酔って乱れることはなく、皆紳士だったが、子供部屋にノックもせずにお菓子を持ってやって来るおじさん軍団。下のきょうだい達は、ネックレスになった飴玉に騙くらかされていたが、私は飴を舐めながら、いつも、このおじさん軍団を常に凝視し、観察していた。
和室2部屋、襖をはずした自宅雀荘はタバコの煙、酒の匂い、あのマージャンを打つ音。
母を手伝い、お酒の銚子を置いていく。
ふと、あるおじさんをよく見ると、お腹をパンパン叩きながら、あのフランス刺繍のクッションで寝ころがっているではないか。
あのふっくらとしたクッションが大きな頭で潰され、それは煎餅のようになっている。
このおじさんは母に、「もう充分ですよ、奥さん」と言いながら。
母が鍋焼きうどん食べる人と聞くと、真っ先に手を挙げる。
たくわんをポリポリいわしながら、焼きおにぎりも一口餃子もあっという間に食べ、熱い鍋焼きうどんのあの煮えたぎる鍋さえも一滴残らず汁をすすることの出来る鉄の唇を持ち、この軍団で一番マージャンも強かった。
そのおじさんは、軍団の中で一番気になるおじさんであった。
頭はテカテカ、何かサラダオイルを塗ったくった様なヘヤースタイル。食事や酒を飲んでいると、顔から大量の汗とあぶらのようなものが滴り落ちる父と同じオイルマンだった。
私はすぐに座布団とクッションを即座に交換し、薔薇にそっと顔を近づけたら、父と同じ丹頂チックの匂いがし、眩暈がした。
叔母は非常にセンスのいい人で洋書の絵本の挿絵からヒントを得て、不思議の国のアリスのような絵柄をリベンジとして猫ちゃんを取り入れた第2弾も作ってくれた。
それでも、週末、おじさん軍団は大声をあげながら、職場のおもろかった人の話や、親父ギャグを連発しながらタバコの煙を輪っかにして見せ、ヘビがチョロチョロ動くオモチャ等で、下のきょうだい達を手なずけるのである。
「8時だよ全員集合」も見れず、このおじさん軍団の世話が嫌でたまらなかったが、今にして思うとその準備をする子育て中でもあった母は大変だったろうと。
母にとっては、自宅に職場の人を連れて来ることは、普段全く話さない仕事や同僚のことを知り、気を使わせぬように、いつも笑顔で迎え入れていたのだった。
父にとっても妻の手料理を食べさせることは自慢でもあったろう。
そして、その家に立ち入らせることは、隠しようもない全てで仕事の上でも何かしらの連帯感のようなものがあったのかもしれない。
今の時代は、上司や同僚達との飲み会がわずらわしい人が増え、マージャンすらやらなくなり、家族を知ること等は余りないのではないだろうか。
いつも、瞬間湯沸かし器のように怒り、えらそうに威張っていた父。
でも皆が帰ると母を手伝い、客間を一緒に片付け始める。
「美味しかったよ、ありがとう」とうつむいて言っていた言葉に母は。
「来週は何が食べたい?」と会話していたのを思い出す。
週末、玄関に大きな革靴が溢れるように並んでいたことが懐かしい。
人をもてなすということは難しく、未だに上手くそれを出来ないでいるが、この頃を思い出すようにしている。
オイルマンのおじさんは父の親友であり、我が家で夕食を食べることもあるが、この話をすると全く覚えていないという。
だが、たくわんをポリポリ食べ、母に「もう充分ですよ、奥さん」と言いながら。
その変わらぬ食欲とオイリーなお姿は今も変わらず健在である。