ここではない、どこかへ
2012年8月27日 カテゴリー:雑記
休日の朝、自宅近所の公園でいつもお会いするおじさんがいる。
そのおじさんは大型犬を連れていてストレッチをしながら約1時間ほど園内で過ごす。
そして、その1時間のほとんどは携帯電話で誰かと熱心に会話をしている。
私の大好きな大型犬なのでつい声をかけてしまう。
だが、その日はおじさんではなく奥様がリードを握っていた。
そして、私はいつも電話をかける主は、この奥様でも友人でもないんだろうなと知る。
おじさんはどちらかというと普段は少し不機嫌そうな顔つきで、携帯電話で話している時だけは穏やかになっている。
家族には見せない話しぶりや、その会話の内容。
仕事ではない時に見せられる人間の裏側の姿に私は少し困ってしまい、早朝の散歩コースを変えた。
奇縁のようなものがあるとするならば、偶然どこかの街を歩いていて、かつての調査の対象人物とばったり出くわすことがある。
長年このような職業をしている調査員方にもよくあるようで何年前かの調査対象者とすれ違ったりするようです。
そのような場合、調査が終われば一切の興味もなく、人として仕事として、これも何かご縁のあった方。
出来れば、その後ろ後に平安を祈るばかりです。
なので、仕事ではない立場で疑わしき行為の人物を見ても、ただただ、それが一時の気の迷いであり、家庭を捨て去るものでないことを願うばかりです。
依頼人の慟哭、涙、声に出せない苦しみは誰よりも深く理解をしているからです。
先日も電車に乗っていると喪服を着た初老のおじさんが大汗をかきながら走り込み、隣にドカンと着席。
大急ぎで携帯操作をはじめ、その焦りは半端なく、何か早急にメールを打たねばならぬという強い気持ちが伝わってくる。
おじさんは老眼鏡を忘れたのか、携帯電話を手元から大きく離しながらメールを打っている。
ここはマナーとして目を閉じていたいのですが、シニア携帯のメールのフォントは最大字で隣にいる私からは丸見え。
西野カナの音楽が流れてきそうなメールの文章を見ると何か非常に困ってしまうのは何故だろう。
恋愛をすると年齢など関係なく、ただただ、わずかな時間にでも会いたいと思ってしまう。
会いたい、会いたい・・・連呼。
喪服のおじさんは長文の熱いラブレターを送信したが
すぐに返信があり、満面の笑顔で確認すると、ただ1行あるのみ。
「無理」
両者、きっと顔を見てお話したら、感情の起伏の盛り上がりもあるのでしょうが、メールとはなんと残酷なものでしょうか。
おじさんは座って落ち着かないとメールが打てないタイプのようで、どこかの不幸の席から取るものも取りあえず連絡を入れようとしたのに・・・。
ただ、一行。
絵文字も愛想も前後の説明もない。
依頼人からの心情は深く聞けても、浮気をしている当事者側とは私はお話することはないので、その心理はわからない。
どれだけ本を読んでもネットのサイトを見ても、心の声までは聞けないのです。
もし、その何かの機会で当事者とお話が出来るのであれば私は一晩中でも話を聞いて、その気持ちを知りたい。
いたって普通の家庭を持ちながら、ここではない、どこかに何かを信じて求めている人達。
その先にあるものが一体何なのかが聞かせてほしい。